荻原井泉水は、明治17年(1884)に東京都港区に生まれた。本名は、幾太郎(のち藤吉)。
俳句機関誌「層雲」を主宰し、大正3年には初の句集『自然の扉』を刊行する。
季語無用を主張し、自然のリズムを尊重した、無季自由律俳句を提唱する。
門弟に、尾崎放哉や種田山頭火がいる。
熊野の墓に詣でた際に詠った句が、層雲浜松支部の会によって建てられた。

藤の長房や天龍は長き流れなり

分 類句・歌碑
作 者不詳
制作年昭和35年(1960)
場 所行興寺境内(池田)
詳 細高さ194㎝、幅64㎝