戒成王(別名・海上王)は、第50代桓武天皇の第4皇子と言われている。
王は、京で病にかかり、従者17人とともに、京を離れこの地に移り住んだ。
近くには京見塚古墳(5世紀築造・円墳)という大型円墳があるが、この名前は、戒成王が塚の上に登り、西の方向を見ては京を偲んだことから付けられたという。
衣手のなみだに空もはれやらで
都のかたは白雲ぞたつ
分 類 | 句・歌碑 |
作 者 | 不詳 |
制作年 | 昭和57年(1982) |
場 所 | 京見塚公園内(中泉) |
詳 細 | 高さ210㎝、幅135㎝ |
取材をおえて
戒成王にまつわるものが、近くに点在している。磐周教育会館の北側にある墓地には、戒成王の墓なる小さな塚がある。
県指定史跡「土器塚古墳」は、戒成王やその従者たちの使用した食器が捨てられ、こんもりとした塚になったという言い伝えがある。
王子神社には、地域の由緒書きや鏡が保管されてきた。